画 家 田中 裕二
The Painter Tanaka Yuji
画家 寺戸恒晴先生に感謝と敬意を表し、このページを作成させて頂きました。

寺戸 恒晴 アトリエにて
1922年 島根県那賀郡西隅村に生まれた寺戸先生は、子どもの頃に雑誌の挿絵に興味を持ち、日本美術学校に進学しましたが、在学中に召集されて満州へ渡りました。終戦後、シベリアに抑留され、3年間筆舌に尽くしがたい過酷な捕虜生活を強いられました。
引き揚げ後、寺戸先生は、東京で本格的な創作活動を始めました。寺戸先生は、シベリア抑留体験をもとに描かれた人の生死や家族の絆を題材にした質感のある力強い作品を次々に生み出しました。「たおれた人守る人々」という作品には、倒れる人とそれを見守る人が描かれています。倒れた人は、寺戸先生自身の弱さを表現したもの。支える人は、それではいけないと強く生きようという気持ちを現したものです。
不安定な生活や病苦にめげることなく、先生は「生きることが描くことである」とひたすら絵を描き続けました。北海道・関西・北陸・山陰と訪ね歩き、各地の勇壮な祭りを取材して作品にしました。そして、石見神楽にたどり着きました。1979に発表した絵本「ケンと石見神楽」はこの時の取材をもとにした傑作です。
一方、62歳の時から毎年のようにパリに出かけ、町並みや教会を描き続けました。すると、それまでの白と黒を基調とした絵が鮮やかなものに一変しました。そこで使われたのが「寺戸ブルー」と呼ばれる独自の青の色調です。
晩年の寺戸先生は、ふるさとを題材とした作品を数多く描きました。その多くが「寺戸ブルー」の作品です。セーヌ川の色と日本海の海の色が同じマリンブルーで描かれています。
素朴で温かく、見る人全てに懐かしさを感じさせてくれる作品です。
2002年4月、寺戸先生は数十年振りに大平桜を訪れ、一週間に渡ってデッサンしました。それをもとに描いたのが「明けの大平桜」です。(次ページ、ギャラリーに掲載)描かれている桜は、実際の大平桜とは異なります。あくまでも寺戸先生の心に見える老桜の姿です。
2003年4月、寺戸先生は散歩中に転倒したのがもとで病床につき、一年に及ぶご家族の懸命の介護の甲斐もなく、翌年5月30日に逝去しました。
早朝の澄んだ空気の中に立つ大平桜の威風堂々たる桜。あたかも画家の姿を見るようです。この作品が最期となりました。
現在も尚、東京国立近代美術館や練馬区立美術館、浜名市立石正美術館(島根県)等で作品が展示されています。また絵本も寺戸先生の絵のまま発行されており、身近なところでも寺戸先生の作品を感じられます。